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官報の歴史

官報第一号 第一回帝国議会会議録

●官報第一号
日本で初めて出された官報です。
「官報」の題字は太政大臣・三条実美が書いたものです。

●第一回帝国議会会議録
国会が帝国議会といわれていたころの第一号の官報付録で、帝国議会の会議の内容を掲載したものです。

関東大震災風景 関東大震災官報号外
●関東大震災風景
激しい地震のため、見るも無残な瓦礫の山となった印刷局の工場。
●関東大震災官報号外
関東大震災で印刷局の工場が全焼したため、急遽ガリ版刷りで発行した官報。

 

 官報は明治15年に提出された時の参議・山縣有朋の建議に基づき、発行されるようになったもので、明治16年(1883)7月2日の創刊です。官報は、国が発行する唯一の法令公布の機関紙として、また国の政策を周知したり、国民の権利義務に関連する各種の公告を掲載する重要な機関紙として、休日を除き毎日発行されています。

 明治時代の官報は、法令の公布ばかりではなく、国の施策を周知するための記事や学術、文化、産業のほか、外電の記事を掲載するなど、新聞的な色彩の濃いものでした。また明治23年の帝国議会が開催されると、その議事内容を国民に公表するため、「議事速記録」が官報の付録として発行されました。

 大正時代の官報には、行政施策のほか、一般教養的な事項が雑報欄として掲載され、やがてこれらの記事は「週報」へと姿を変えました。大正12年の関東大震災の際には、印刷局の設備が全壊したため、ガリ版刷りで緊急勅令を掲載した官報号外を発行したこともあります。昭和時代前半の官報は、戦時色が濃い法令や物価統制関連の事項が掲載されました。

 戦後は、昭和21年に占領軍の命令で「英文官報」が発行されたり、戦後の物価統制のために「物価版」が発行されたこともあります。また昭和28年からは毎週水曜日に、政府の広報事項をまとめた「官報資料版」が発行され、昭和48年からは、法令を理解しやすくするため「法令のあらまし」が掲載されるようになりました。

 昭和56年からは、世界貿易の拡大と自由化を促進するため、政府機関等が調達する一定額以上の物品の入札公告が官報に掲載されるようになり、平成6年6月以降は官報の「政府調達公告版」として分離して発行されるようになりました。

 

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